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詩(黙せる宴)(赤い花一輪咲きますよう)より

2013年07月11日 09:30

   黙せる宴

痛みに容赦なくむらがり

傷を押し広げて蠢いて漁る

姿なき虫たちよ

振り払うことの出来ぬおまえ

痛みを餌にいつから住み始めたか

しばし おまえたちの宴に

悔いが埋もれていくのを待とう

宴の終わりに虫達よ

体蝋でその傷口を閉じよ

何ごともなかったように

つれづれ想(楽しみ)

2013年07月09日 09:32

   楽しみ

楽しみで無料ブログを立ち上げたが なかなか誰も読んでくれない

それでもめげずに書きたいことを書いて載せている

暖簾に腕押し 風だけが通っていく。 それもいい

書くという自分だけの楽しみを持って、自分だけの満足と

一人おしゃべり、その相手をして聞いてあげている錯覚

これまたよし 書く人の心と読む人の心が一緒だから 

自慰行為のようなものだ。長く続けよ と応援してみる。

つれづれ想(花が咲く)

2013年07月07日 09:59

   ねじ 花が咲く

小さな 花が咲く しじみ蝶が飛ぶ 雑草が伸びる

揺れる大地を除けば「世はまさにこともなし 神空にしろしめす」 か

大きな不安は国任せ 小さな不安は握りつぶして

芽吹くもの 花開くもの 結実まで眺めつくし 応援し 季節をまとう。

繭糸を取るように細心の手触りで糸口を探し 絡みや 

切れないようねんごろに ほぐしだす

そんな詩が書きたいね 蒸し暑さの中の涼風を捉えて

つれづれ想(返事)

2013年07月05日 14:21

   返事

詩集を送る詩集を頂く そんな行為が一般的で届いたと返事を書く それが世間の常識。

頂いたでもなく 届いたでもなく 無のつぶてで行く詩集よ。無返事の人の詩集を頂いて 

丁寧にお礼の返事を書く 感謝を心を込めて書く 祝いを筆に溶いて書く  

顔をあげて未来に 明るい光と 温もりが届くように もっともっと歩幅広く歩めるように 

そんな祈りと願いを込めて返事を書く。私の送った詩集に何の返事も なかった人に

ありがとう おめでとうと書く。

詩 (もう少しここに居よう)

2013年07月01日 19:32

   もう少しここに居よう

同い年の人に認知症が入った 

同い年の人が逝った

妹や弟の連れ合いが鬼籍に移った

兄たちも以前にさよならした

 

連れ合いは年相応元気だと言うが

杖なしでは歩けない

車いすのお世話にもなる

私もふらついてたまに転ぶ

 

注意に注意をしても

転倒を免れない

腰痛を託って自転車に乗る

ポストまで 駅まで コンビニまでと

近周りを便利に注意深く乗る

 

買物は息子頼りに安売りの店まで

週一回まとめ買い

足りないものは近くのスーパーへ

レトルト食品 冷凍品 乾物

 

一日一日 月ごと 年ごと

流れ去る時間に引きずられ

ベルトコンベアーは止まらない

運ばれ運ばれ 降ろされるところは

時間も生活も 焦りも痛みもない

桃源郷だろう

 

子や孫の笑顔がある

もう少しここに居よう

もう少し自分で居たい

私という私

2013年06月29日 08:56

   私という文字

便りを書くにも 詩を書くにも私という文字は行末に書いた

なぜ行頭に書けないか 照れと謙遜 自信のなさか

いつも下にしか置かない私という私 私という文字の主張

あなたはいつも堂々と仰ぎ見られる位置にあり 私は平伏して

あとから続いたに過ぎない 行末にいて落ち着き 行末にいて

安堵を持つ 変なこだわりが いつの間にか習わしになった。

詩 (旅)

2013年06月26日 19:46

   旅 (春に)

人生の旅を日々頼りなく過ぎて 刻をしっかり捉えることは至難の業

生きているよーと 叫んでも誰が受けてくれるか

沢山の旅をし 沢山の人 沢山の街 沢山の時間を

潜り抜けてきたが何を取り込みどんな成長をしたか

80ねん生きて 霞んでしまった過去や

蹴散らしてしまった昨日今日が擦り寄ってくる

それらを掬い上げる竿も網も持たず 流れに任せてしまう

近くに大滝が構えていて ナイアガラの様に

飛沫く中に 赤い服を着た私が落ちていく

沈むか浮き上がるか 夢想を天からみている

 

まだ滝からの旅があるように思えて

100才を迎えた友の かくしゃくとした足取りを私に繋げてみる

生きるという喜びと 生きたという満足と 活力を体中にまぶしてみる

植物人間 惚けを蹴散らせ 自分の足で歩き 季節を感じ

一人の楽しみを持ち 一人遊びができ 活力ある日々を

充実した時間を 四季を大事にして ほのかな温かみを感じ

反応して生きたい いつも旅立ちの支度をして 欲張りの生を活きている

窓外は春の気配 雑草のはびこりを見る

 

つれづれ想(雲の上の方)

2013年06月25日 19:22

   雲の上の方

雲の上の人だと思った 手の届かない人だと決めていた。

そのひとが年を重ね 私が老いるのと同じ速度で

当たり前のことであるが それがなぜか成熟において

違うように思えて 老いてもなお未成熟な私に

あの人は限りなく高く 悠々と私の目の前を通り過ぎ

はるかな梢から小鳥のように歌い

木々のさざめきのように話す それは幻であるか 

深い思いであるか目の前のあなたがずっと高く

飛翔してゆくのが見える

要介護ですものね と言って笑ったあの方。

ふと懐かしく 親しく

つれづれ想(80才と100才と若者)

2013年06月23日 19:29

   80才と100才と若者

80歳になると長いこと生きたという感慨 これからどう生きるかという覚悟

年老いたという挫折感と諦め 活力の中に浸潤する諦念。

あの人この人の面影がちらちらする。

100才を呆けず生きる新潟の友 石井さんのことを思うとまだまだ生きて

書きたい 読みたい 纏めたい。活力の中に混じる倦怠感を排除できず

どのように折り合いをつけて仲良くなだめ、従えてゆけるか、

短未来という急坂を自力で進んでゆく 老いを曝け出して 見つめて

体力の衰えと頭脳の萎縮にブレーキを踏む その脚力のなさを思い知らされる。

今日甥の娘の結婚式に招待され、若さを存分に感じてきた。

若者の利発さ 力強さを見せてもらってきた。昔の私にはなかったものを・・。

つれづれ想(琴は静かに)

2013年06月22日 09:59

   琴は静かに

八木重吉の妻が書いた本を読んだ「琴は静かに」(吉野登美子)

重吉の信仰心の深さ すさまじいとさえ感じたが 妻を恋うる心の

あけっぴろげの少々幼いほどの愛が戸惑いに感じた。

重吉の母の名前が「ツタ」であったことがなんだか親しみを覚え

重吉の母の心を推し量った

もう一冊静岡の詩人で今は亡き「諸田政一」さんの娘さんの「諸田玲子」の

時代小説を敬遠して、「希以て子」と「木もれ陽の街で」を読んだ

知った人の小説を読むのはいい。

 

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