記事のアーカイブ

私の60年・私の80代

2015年03月02日 18:23
 「私の六十年」(CDキャラバンへ)幾年月がありまして と言ってみよう六十何年かが夢のように確かにある十年一昔 一昔ずつ スパッと筒切りにして切り分ける堆積された断層をみるようにどんな化石が現れるか何を食べ どんな成長をしてきたか何が原因でこの萎縮かと 細部まで発掘 突き止めたいともろい部分に執着し 丹念に作業にとりかかる樹木の年輪をみるように南も北も確かにあって岩も砂礫も空洞も 支え合っての六十年の歩みであるさあこれから どれほどの堆積をみ 断層を重ね 珍しい化石を掘り出すことが出来るか今 六つの断層を大皿に盛って地質学者のように 考古学者のようにそして 陶芸家のように腕まくりをして 視つめ

しばらくぶりで書く

2015年03月02日 18:20

故郷の海に会いたい

2014年12月02日 10:09
  故郷の海に会いたい海に会いたい 故郷の海に何の変哲もない寂しいだけの海に舟もなくテトラポットが波に洗われて静かな波音だけが永遠を呟き限りなく続いている何もない故郷のさびれた海流木や漂着した芥類風に転がり吹かれて一層わびしさを積み上げている泳ぐ遠浅の美しい浜辺ではないこの寂しいだけの海が私の海だ防波堤を乗り越え流木を杖に渚まで歩く子供のころの貝拾い小石拾いが思われて引いてゆく水に手を伸ばす故郷の海にそっと置いてみる釣り人一人いない潮騒が心の奥の方まで浸み込んでわびしさを洗い出してゆくそんな海だから独りだけで暫らく立っていたい話し込んで深まっていたい海風に吹かれて冷え冷えと

残り葉

2014年05月12日 19:22
  残り葉昼過ぎやっと体が目覚めた午前中何をしたらいいのか迷った食べて片付けてほっとしたら私が居なくなったゆうらり揺れている私の脇腹をすばしっこくすり抜けていったのは何か午後やっと自分に自分が納まって生きている実感が満ちてくる残照のいま慌ただしく自分の像を纏めて急ぎ足で目的地に向かう早い時間帯には霞んでいた目的地がようやく見えだした夕暮れ刻焦りと悔いをバックに詰めて杖の欲しい腰痛を励まし遠い街に行く支度をするすぐ日没に追いかけられるああまだ枝先に高揚した一葉が揺れてある

2014年04月14日 14:07
  詩和えるといううまさ 素材としての旨味消化できるという満足 噛み砕けるという親しさ難しさを解くおもしろさ 一行を光らせるための言葉の切り捨て笹舟を浮かせる透明な水の 浮力とさざなみ視点の変化と移ろい 確実さと曖昧さ燃えるものと醸すもの 染み入るものと奏でるもの省略と誇張と 比喩と暗喩と朗読して伝わるもの 文字として深まるもの書き起こしと終連のカット 凝縮していて柔らか平明な言葉のあたたかさが 読む者の心でほろりと融ける  そんな詩の種子を蒔く そんな詩の苗を育むそんな詩に会いたい そんな詩を書きたい

つれづれ想(81才)

2014年03月14日 10:00
いよいよ今月25日で81才になる 忍び寄るものはないかとあたり眺め 不安を振り切る ぼちぼちかたずけ始めた 終活への道まず何年も前の詩誌から と片付けても片付けてもなかなか減らない新潟の友は100才になったという。私は90才をめざし 90になったらもう一度訂正ができればすごい。閻魔様にすりすりしておこう。それまで詩が書けて活き活き 暮らしていられますよう 再度お願いして。なんて 虚ろな心を奮い立たせている。春が来るのを待つ老婆だ。

詩(そっと手を開く)

2014年02月08日 19:02
   そっと手を開く 捉えた蛍を放っように  そっと手を開く 追い詰めて捕まえる寸前  ふっと緑の網がかぶさる   厳しい顔してすたすたと行く青年 にこにこと笑いかける嬰児 さらりと風は通り 日差しはふっくりと背に暖かい   街には溢れる活気と 行き交う人々と 吹き上がるバルーンと 街路に舞う落ち葉   踏みしだかれて いつしか粉々になって 腐葉土になる 黄葉紅葉の末   誰の花道か 嬰児は巣立って 青年は成り 老いは育って握った拳見詰め   そおっと開いて 呼びかける 蛍を放つように上向けて 空のへと放つ    

詩(若さの残酷)

2014年01月30日 10:05
   若さの残酷 説教めいたことを言わず そうねぇと 相槌を打って肩を並べてやればよかった 年寄りは我慢しなきゃね 若い人に嫌われるよ なんて言わなきゃよかった 今になって解ることが沢山あるから 違っていたっていいじゃないか そうだねって言って 意地張ることもなかった 黙ってそうかい・・って 返事した老母に   この年齢になってやっと解った いいんだよそれで・・と背を撫でてやればよかったのに 正義ぶってこうあるべきだなんて 柔らかいものをそぎ棄てるように訂正したが 堅いこということはなかった 反対することはなかった 受け止め受け入れるほうか゜思いやりだったのに ごめんよ 優しくできな

つれづれ想(現代詩人会新年会に出て)

2014年01月19日 16:47
   現代詩人会新年会に出て 富永たか子さん はんなさんにお会いした 一緒に話してくれる人がいないと寂しいと思っていたので、 たいへんうれしかった。新現代詩で知り合ったお二人である。 はんなさんには何かと面倒を見ていただいて恐縮 そのほか顔見知りの方 お名前だけ知った方、 大勢でしたが あまりお話しする機会は持てなかった。 講演も詩の朗読も マイクの関係か私には聞き取れないところが 多くて何を聞いてきたかわからなくて これでは楽しいはずの会も 残念ですが行っても価値がないように思えてくる。 朗読も詩の原稿が配られないので(一人だけ頂けた) 余計何を話され読まれたかが 私の耳が遠くなったせいかと

つれづれ想(14年新年会)

2014年01月17日 18:12
   新年会 今年はできる限り新年会に出席することにした。 まず 詩人クラブ東大駒場 県詩人会結城図書館 新川先生のコレクションがあっていろいろな方の詩集などが 沢山陳列されていた。わたしのもふっと眺めるとあった。 沢山の詩集でびっくりする。これだけの詩集は 図書館に備えられているところはまずないと思う。 18日の現代詩人会にも出かける   永井ますみさんが「詩書の立ち読み」に私の作品を8作品 生と死にかかわるようなものを選んで載せてくれている。 「市川つた」コールサック詩選集「衣の会」「詩書の立ち読み」と 開いてみてほしい。
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