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東部ゼミ
2013年10月15日 20:15つれづれ想 「日本詩人会東部ゼミ長野に出席して」
難しい講演はじき忘れてしまうが この時にお会いした方々だけでも
覚えておきたいと思う。清岳こうさん 遠くから眺める
財部鳥子さんとは思いがけず 2日めの昼食時向かい合わせに座られ
いろいろお話を聞かせていただいた。山崎庸子さん(上田市の方)も一緒
私難聴気味でにぎやかなところでの会話全部を理解することができず
でも写真など一緒に撮ってもらい 記念になると思うと嬉しい。
清水茂氏 元詩人クラブ会長さんの奥様との会話も 気さくで楽しい時間でした。
小島きみ子さんがパソコンに詩選集の批評を書いてくださり、開けてみると
2編とも10代の作品を挙げてくださっていて、進歩ありやなしやと 60年余
書いて来ての 反省しきりです。静岡の井上尚美さんがおられて 力強く
有りがたかった 知らない人ばかりの中で知人がいるのは この上なくうれしい
坂井力さん 宮崎亨さん コールサックの鈴木さん 佐相さん とも言葉を交わし
出席してよかったと思っている。
つれづれ想(日本現代詩東部ゼミ)
2013年10月11日 20:49東部ゼミ
あす10月12日 日本現代詩東部ゼミ(長野)に出席することにした。
10月は何の予定もないと思って出席にしたところ
次々に予定が入ってしまい 忙しい月になってしまった。
どんな人にお会いできるか楽しみだけれど 少し不安もある
傘寿すぎるとどうしても一人で出歩く不安が芽生える
ここで尻込みすると だんだん出不精になると思い
出来るだけどこへも出かけるが 若さを保つ道かと心を奮い起こして
出かけるようにしている。何か 拾って来れば上々
この続きが書けたら 合格 頑張っていってくる。
詩 「川岸は美しく」(詩集つれづれ想より)
2013年09月27日 10:10川岸は美しく
重い袋を背負おうと
力いっぱい荷物を引き上げ
腕力の衰えを感じながら背に乗せる
新しい環境を背負い日々の生活を背負いして
刻に流され刻に背負われ
川岸の細道をたどる
すがすがしい空気と
少し湿り気を帯びた活力を投げ上げ
気がかりな石塊を蹴りながら
明るくハミングしている
緑溢れる雑草の中に咲く
小さな花を見つけて囁きかけ
自分の中に移植する
里山の杉木立が懐かしさをみせ
竹ばやしも合唱のかたちでゆれ
にぎやかさと静寂が敷き詰められて
遠景にある
川岸はどこまで続くのか
流れに添うは安らかでゆるやかで
背負いきれない数々のものが
私を見送って岸辺にある
うらうらと岸は
小花と虫の声で
満ちている
つれづれ想(難しい詩集を頂いて)
2013年09月22日 10:54難しい詩集を頂いて
難しい詩集を頂いて、戸惑っている。名のある詩人で きっといい詩集であると
確信しながら 平易な言葉で優しくて 理解となると随分と難しい。(私には)
このところ 難しい作品によく出合うので、私の理解力の乏しいのを感じている
これら難しい作詩法にならって、書いてみたいと挑戦するが、すがりつく糸口が
見つからない。無理なことかもしれないと 少し諦め模様。
突き破れないとしたら やはりマンネリの中に住む以外 突破口はないのか。
なら 私の道を少しずつでも 練り上げ平凡から非凡に押し上げてゆきたい。
感受力や突き詰める力が 年齢とともに弱ってきているかと、努力のなさに
反省している。難しくなくても 味わいのある作品を書きたい。
詩「樹と風と」(詩集風を抱く)より
2013年09月12日 19:35樹と風と
人にはそれぞれ振り返ってみる場所が
いくつかある
はるかを遠く透かしてみる場所が
また いくつかある
深奥に一つの耳穴を持っていて
落ち葉のレースの蓋をしている
ふと気が付くと耳穴は幾星霜のうちに
埋もれて浅くなっている
敏感に落ち葉の音を聞き分ける
小動物の足音を聞き分ける
風の行方を聞き分ける
そんな力を失って
潜んでいるものは うすばかげろうの幼虫か
それともタランチュラか
今ゆるいカーブに さしかかると
白壁に月明りで切り絵のようにくっきりと
はりついている樹の影が
まばたきするたびに動いて魑魅魍魎をおどらせ
おいでおいでをしている
埋もれた年月を掘り起し
ひっそりと聞き分ける耳をよみがえらせ
風の方位 種子の在処を探って
遠く超えていくものを視つめている
詩「私が充分老いたとき」(詩集 風を抱くより)
2013年09月01日 20:10私が充分老いたとき
ここから先は行ったことがないから
これから先は誰も知らないことだから
想像して空想して
美しいと思い恐ろしいと思い
天国だと言い地獄だと言い
自分だけはと老いを払いのけて身構える
私が充分老いたとき
何が支えとなり足となり
生きた証しとなるか
独り立ちして前方を見据え
心豊かにと瞑目してみる
健康であれ病気であれ
素直に受容し
現状を土台にして
一歩でも進みたいと願って
ありのままこれで良かったと
青空を仰いで跪き
合掌することが出来るだろうか
私が充分老いたとき
悔いもなく毅然と真向かえるよう
信仰を持たぬものの深い祈りとして
力強く一本の線を引く
引き返すことの出来ぬ
バリアフリーの昨日と今日 今日と明日
やり直すことの許されぬことだから
青空を掲げて今日の一歩を心して踏み出している
新しい老いに向かって
未知に向かって分け入って行く
詩(まだ見ぬ親しい人)「詩集風を抱く」より
2013年08月26日 08:40まだ見ぬ親しい人
右前方から手を翳して
顔見知りのように近づいて来る
親しげに笑いかけ
私の輪郭にをなぞって後ろに回り込む
振り返ってみると来た道が白々とかげろっている
ゆらいで風向計を見ている
耳を澄ませて遠雷を聞いている
素直な心で岸辺の風景を見ている
背後に見開かれている傍観者の瞳
その瞳の向こう側にどんな生きものが息づいているか
どんな生きざまが透視図に引かれているか
おまえはいつか冷えた体温を寄り添わせ
同じしぐさをまねて
肌と肌の間にセロハン一枚挟んだ程の
切ない隔絶で押し寄せて来る
まだ見ぬ親しい人が
ふっと私を立ち止まらせる
つれづれ想(充実ということ)
2013年08月21日 08:50充実ということ
平凡で人の陰に隠れ目立たず 悪いこともせず いいことも認められず
居るのか居ないのか 生きてきたか活きているのか
自分にもはっきりせず 時間が経てばお腹が空き 夜になれば眠くなる
太陽に負けず起き 時計のように正確でもなく
何をやっても急かされる気持ちが先だって
落ち着いて一つのことに没頭できない
一つのことをやり遂げない限り次のことは猶更遠退く
心ここに非ず字面を滑って汲み取ることができない
思いを吸い取り味わってこそが詩の心を耕すことか
遠く思いだけが飛び散って私が砕けけてしまう
一歩一歩 一段一段それが充実というものか
詩「六十代は楕円球」(詩集風を抱くより)
2013年08月20日 08:43六十代は楕円球
花になってみつめた
葉になって風にゆれた
のばした蔓でまきあい
引き寄せあった青い旺溢
みずみずしさは蒸散をつづけ
青から黄に紅にと
季をかさね枯れ葉色になって
枝で吹かれている
沈黙は寂しく
別れは堪えがたいと
こぼれ落ちる日常から
ふと拾い上げる想念(おもい)
結びあった指を一本一本
残酷に引き剥がして
支え合っていたものを
こぼしていく捨てていく
潜み近づいてくる
覚悟の背後
ゆるゆると準備はなされる
大切な大切な剥がれの期よ
こころよい自由を許せる距離と
こころよい隔たりを維持して
独り独り個の単位を透かせて
楕円球になって静もっている
空が目に見えて
青さを増してきたようだ
詩(螺旋階段をのぼって) (風を抱くより)
2013年08月17日 21:32螺旋階段を上って
涙を溜めた言葉とすれちがう
知らん顔してそっぽを向きながら
すねて刻の流れに逆らっている
慰めたり励ましたり
そんなことは何の役にもたたないので
泣くことのできる若さをいとおしんでみる
青い山脈に対峙して
花びらの両掌の中に白い卵を大事に抱えて歩いた
あのころ
卵は少しずつ少しずつ大きくなるようで
虹色の翼をした鳥が孵化(ウマ)れると信じ始める
春が過ぎ夏が来て秋になり冬をくぐる
同じ季をぐるぐる巡り
生まれたのは 何だったのであろう
育ったのは何だったのだろう
話しかける花や樹や 空やビー玉や
出逢いや 小鳥のようなさよならや
躍動と次の春を育むために散る木の葉や枯れ枝たちの
輪廻という階段をのぼってのぼって
遥かをみると今も涙を溜めた言葉の
後ろ姿がみえている